
アイテムが隠された箱を開く方法を
探っていくパズルゲーム「Boxes: Lost Fragments」が楽しい。

箱にはいろいろな仕掛けが散りばめられているが、
動きそうな部分を適当に触っていると
カチリと音がして中身が開いていくのが気持ちいい。
広告もなく、無料の状態でも結構なボリュームが遊べるので
試しにプレイしてみるだけでも十分満足度が高い。

アイテムが隠された箱を開く方法を
探っていくパズルゲーム「Boxes: Lost Fragments」が楽しい。

箱にはいろいろな仕掛けが散りばめられているが、
動きそうな部分を適当に触っていると
カチリと音がして中身が開いていくのが気持ちいい。
広告もなく、無料の状態でも結構なボリュームが遊べるので
試しにプレイしてみるだけでも十分満足度が高い。
シールが豊富に用意された謎解きも十分に楽しめたので、
再びきまぐれボックス製の謎解きをやってみた。
リアル脱出ゲーム 感想その159
「透明な金魚」

これは昔住んでいた小さな村に帰省した
高校生を主人公にした小説を読みながら謎を解いていくもの。
小説も問題も解答欄もすべて1冊の冊子に収まっているが、
プレイの大部分が小説を読んでいる時間なので
謎解きをしたいのにひたすら文章を読まされるのが難点。
小説の内容に絡めた問題もあるせいで
読み飛ばすわけにもいかないのが辛すぎる。
また、解法が強引な問題が多くて
自力で解けたものも含めてスッキリできなかったし、
感心できるような本作独自の謎解きもない。
最終的に1時間ほどで読み終わったが、
この内容なら問題付きの短編小説として売るべきで、
謎解きを期待して買うと達成感がなさすぎて後悔するだろう。
小説としてもそれほどデキがいいわけではないので
本好きにも謎好きにもあまりオススメできない作品だった。

ファミコンの誕生から40年あまり、
ゲーム業界はゲーム機の進化にとどまらず
その遊び方やビジネスモデルもさまざまに変化してきたが、
ここへきてまた大きく様相が変わりそうな気配を感じる。

スマートフォンのゲームを中心に、
無料でプレイしてもらった上で必要に応じて課金していくような
「フリー・トゥ・プレイ(F2P)」と呼ばれる収益モデルが多い。
消費者からすれば、一旦、試しにプレイしてから
遊び続けるかどうかを決められるので
好みの合わない作品に金を払うようなリスクを取らなくて済む。


しかしそういうスマホゲームも開発費はかかっているので、
利益を上げるためには、ある程度の人が
それなりの金額を課金してくれないと成り立たない。
また、このタイプのゲームは常にサーバーに接続するため、
ゲームが遊べる状態を維持するだけでもコストがかかるし、
新しいキャラクターやアイテムを追加したり
イベントを開催するための追加の開発費も必要になる。

つまり、「平均課金額×プレイヤー数」で得られる利益が
「リリース前の開発費+追加要素の開発費+サーバー維持費×運営期間」を
上回っているかどうかがポイントになる。
特にサーバー維持費をはじめとするランニングコストが厄介で、
プレイヤー数が一定数を下回ったり
なかなか課金してもらえなかったりすると赤字となり、
遊んでいる人がいたとしてもサービス終了の判断が下る。
(オンライン対戦を主としたゲームも同様)
ではサービス終了したゲームはデキが悪かったのかというと、
必ずしもそうとは限らないのだ。
売り上げが「平均課金額×プレイヤー数」で決まるということは、
儲かっているゲームはなるべく長期で運用して
課金してもらえる機会を作り続けようとする。
そうすると、新しいイベントやステージを定期的に追加して
プレイヤーを逃がさないことを狙った作品ができあがる。

しかし、遊ぶ側が覚えておけるルールや操作方法には限界があるのだ。
何本ものゲームを代わる代わるプレイするのは無理なので
掛け持ちできるゲームはせいぜい5本程度だろう。
つまり、新しいゲームを始めるには
今抱えている中から1本手放す必要があるが、
それまでに資金や時間を投入していればいるほど
やめる決心をするには勇気がいる(サンクコスト効果)。

その結果、安定した利益を出せる限られた枠は
ごくわずかな人気ゲームに占有され、
運営期間が長くなるほどその存在は盤石になっていく。
新しい作品がそこに入り込む余地は限りなく小さく、
同様の作品の山に埋もれたまま誰にも気づかれずに消えていく。
そうなるとゲーム自体が無料なだけに
開発費が回収するチャンスがほとんどないので
運営型のビジネスモデルだと一部の強者しか生き残れないのだ。
大手企業が運営しているゲームであっても
サービス終了を発表することが珍しくなくなり、
そろそろこのビジネスモデルは限界が近いように思う。
言うなれば終わらないゲームの終わりだ。
そのあたりを踏まえると
「ある程度までプレイしたらクリア」という従来のスタイルの方が
開発する側にも遊ぶ側にも優しいのだ。

買い切り型なので最初に売り上げが見込めるし、
発売後に運営を続けるランニングコストも必要もない。
また、クリアしたらプレイヤーは次のゲームに移るので
特定のゲームばかりにずっと居座られることもない。


遊ぶ側は最初に代金を支払う必要はあるが、
いつまでもダラダラと時間を奪われることがないし、
クリアした段階でスッキリとやめることができる。
「ソシャゲ疲れ」のような本末転倒な状態も避けられる。
かといって莫大な資金を投入した超大作はコストの回収が難しいので、
そこそこのクオリティとボリュームで作られた
クリア型のゲームに回帰していくのではないか。
インディーゲームが勢いづいているのも似たような理由だろう。
スマホゲームを毎日立ち上げ、義務感でプレイしているような人は
自分がゲームに何を求めているのかを振り返り、
クリア型の作品にも目を向けてみて欲しい。
達成感とともに作品から解放される気持ちよさは格別だろう。
本を読む量がデータ化されている場合、
その単位はたいてい「冊数」だ。
しかし小説とマンガでは文字数も大きく違うし、
読破するのに必要な時間も段違いだろう。
400ページの小説だと読み終えるのに1週間ぐらいかかりそうだが、
「チ。」なら2日で全8巻を読破できる。
同じ小説でも「かいけつゾロリ」と「十角館の殺人」なら
そのボリュームは結構な違いだと思うし、
冊数で読書量を表すのは無理があるんじゃないか。
それに、マンガであろうがページ数が少なかろうが
読書で得られる価値とはあまり関係がないので、
読書量を冊数で判断するのはあまりスッキリしない。
そもそもスマートフォンの使用量を表すときには
アプリの数でも入手した情報量でもなく
スマホを触っていた時間を使うわけだから、
読書に関しても本を読むのに費やした時間を目安にしたらいいのに。

知之者不如好之者、好之者不如楽之者
(ある事を知っているだけの人は、それを好きな人にはかなわない。
それを好きな人は、それを楽しんでいる人にはかなわない)
―――論語
何を勉強するにしても情報収集と理解、実践が必要になるが、
最低限ギリギリしかできていない人と
前向きに取り組もうとする人と
自分から興味を広げていく人では
最終的な到達点が大きく変わってくる。
成長が早い人というのは努力していないわけではなく、
実力を上げるための努力が苦にならなかったり
そこに義務感を感じていなかったりするのだ。
使える時間を全部使って自主的に掘り進んでいく人は
見ていない間も伸びていく植物のようなもので、
辛そうな雰囲気を感じさせずにどんどん成長していく。
逆に言えば、何かの分野に精通したければ
まず興味を持つこと、好きになること、楽しむことだろう。