プチメタ3.0

刺激を受けた物事に対する感想や考察、資産運用や英語学習、自己成長に関することなど。


遅延が許されない格闘ゲームでオンライン対戦を実現する工夫が素晴らしい


qr.ae


「遠く離れた者同士でオンラインゲームをプレイするときに
なぜうまく同期できるのか」という質問に対する回答だが、
これだけでひとつの記事になりそうな
素晴らしくクオリティの高い解説になっている。


ネットワークを経由した情報のやり取りである以上、
距離に比例した遅延は避けられないが、
それをプレイヤーに感じさせない快適な対戦を実現する工夫が
非常にわかりやすく説明されていて素晴らしいの一言。

学生同士のチーム制作は仕事以上に難しい


企業では組織全体で成果を上げることが求められるため、
その訓練として、どの学校でも
グループワークを行う課題が用意されている。
しかし、いざ学生同士でチームを組んでも
多くの場合うまくいかないものだ。


これは会社員に比べて学生が未熟だからなのではなく、
学生という立場がグループワークを成立させにくくしている。


なぜ学生チームはうまくいかないのか、その理由を挙げてみる。

上下関係がない

同級生でチームを組んだ場合、
立場が等しいために上下関係が生まれないが、
これが物事を決定しづらいという問題につながる。


そのため、意見が衝突すると議論が長引くし、
意見が採用されなかったメンバーにわだかまりを生む。


また、学生は意思決定のために「多数決」という手段を使いたがるが、
少人数グループでの多数決は精度が悪いだけでメリットがないし、
わずかな人間だけが思いついた良案を潰してしまう。


会社なら経験や視点の違うメンバーが混ざるため
意見の良し悪しを正しく判断できる確率が高まるし、
上長が決定権を持っているため、その決断に納得できなくても
上長が恨まれるだけでメンバー間の遺恨にはつながりにくい。

個人ごとに作業時間が異なる

学生に対して出された課題の場合、
授業以外の時間も含めた作業が想定されていることが多い。
そうなると「1日のうちどのぐらい作業するか」が
学生ごとに異なってくる。


1日5時間も作業するメンバーもいれば
1日30分しか作業しないメンバーもいる。
その結果、同じ日数での作業量に大きな違いが生まれるし、
依頼した側が見込んだ期限までに作業が完了しないトラブルも発生する。


会社なら1日8時間などと労働時間が決められているし、
それを勝手にオーバーすることも認められないので
人によって作業時間に違いが出るということが起こらない。

問題行動に対するペナルティがない

アルバイトや遊ぶ時間も削って作業した学生からすれば
ほとんど作業時間を設けようとしない学生は腹立たしい存在だ。


また、特定のメンバーの実力が低いせいで
重要な作業を任せられない場合も
作業負荷に大きな偏りが出て不満が生まれる


ただ、そういったメンバーがペナルティを受けることはなく、
チームに対して役に立っていないからといって
退学になったり進級できないほどの成績がつく可能性は少ない。
会社なら役に立たない社員は担当から外されるだろうが、
学生チームの場合は個人の良心に頼るしかない。

チームの戦力が下がらないようにする仕組みがない

問題のあるメンバーをチームから抜いたとしても
他の学生はすでにどこかのチームに所属しているので、
抜けたメンバーの分が補填されるような仕組みはない。
つまり役に立たないメンバーの分だけ戦力は下がったままだ。


会社なら新たな社員を雇って不足している枠を埋めるため、
チームの戦力が維持されるようになっている。

貢献度に比例する対価がない

学生のチーム制作は最終的な提出物や発表会で評価される程度なので、
各メンバーがどの程度の貢献をしたか測ることは難しい


場合によっては学生自身の自己申告や
代表者が各メンバーを評価するような場合もあるだろうが、
保身や互いの関係性の方を優先する学生が大半なので
それほど信頼できず、成績に対する影響は低い。


また、成績は天井が決まっているので
どれだけがんばろうが最高値を超えることはできず、
満点以上の努力には見返りがない。


会社なら生み出した成果や実力によって
昇給や昇進といった報酬が与えられるし、
場合によってはより待遇のいい会社へ転職する道もある。

まとめ

上記のように、学生同士のチーム制作では
不満を生まずに作業し続けるのが非常に難しい
何らかの理由でメンバー間のバランスが少し崩れると
誰かが意欲を失う可能性があり、それがさらなる不満を生む。


仲がいい者同士や実力が高い者同士で安易にチームを組む学生が多いが、
1日あたりどれぐらいの時間を作業にあてるか、
意見が衝突したときにはどのように決定するかを
最低でも確認し合った上でチームを組む方が安全だ。


意気揚々とチームを組んでいた学生たちが
徐々に関係性を悪化させて崩壊する姿はもう見たくない。

日本のゲーム業界40年の歴史をまとめた

f:id:IKUSHIMA:20211120100035j:plain


先日、西暦2000年前後に生まれた学生たちと接しながら
「彼らはスーファミはおろか、
 初代プレステすら体験したことないかもなぁ」と想像し、
自分の中では当たり前と思っていた出来事が
実は割と貴重な記憶なのでは、と思った。


そこで、現在に至るゲームの歴史をちょっと書いてみようかと
非常に気楽な気持ちで書き始めてみたが、
途端にいろいろな記憶が蘇ってきて
2記事書いてもファミコン時代が終わらない。


また、ちょうどいい写真を探したり
発売年や値段などもいちいち調べる必要があるので
記事ひとつ書くのに何時間もかかり、
「これはちょっと大変なことを始めたかも」と思った。


結果的に、1977年から2017年までの40年間をまとめるのに
7ページも費やした。倒れるかと思った。
特に子供の頃の想い出は
想像以上に密度が高くて自分でも驚いた。

ただ、こうして一元的にまとめてみると
時代に合わせた技術の進化や各メーカーの競争戦略、
前世代の反省などがゲーム機に反映されていることがよくわかる。


私は運がいいことに、すべての世代を
実体験として味わうことができたが、
今後、ゲーム業界を目指す学生たちのためにも
こういう社会科の授業があってもいいかも、と思った。

あの頃、ゲームといえばこんなだった<2005年~2017年>

f:id:IKUSHIMA:20211121005012j:plain


目次

Xbox360に熱中する日々

f:id:IKUSHIMA:20211121213804j:plain


2005年、Xboxの後継機として
Xbox360(エックスボックスさんろくまる)」が発売された。


いよいよインターネットの常時接続が浸透し、
ワイドテレビも各家庭に普及していたため
旧世代と比べてかなりの進化を感じた。


HD画質のリアルなグラフィックが素晴らしく、
「もうこれは実写じゃないか」と誰もが思った。
この頃から海外ゲームの勢いが凄まじくなり、
「ゲームといえば日本」という印象は薄れていった。


ゲームの発売後もインターネットを通じてアップデートされたり、
「ダウンロードコンテンツ」という追加販売の文化も生まれた。
自宅でのオンラインプレイも当たり前になっていった。



f:id:IKUSHIMA:20211121215516j:plain


ワイヤレスコントローラーも発売されるようになり、
ファミコンのときのように
本体を引っ張ってしまう事故はなくなった。
コントローラーからゲーム機の電源をON/OFFできるのも嬉しかった。

Xbox 360 Kinect センサー

また、テレビの近くに置いたカメラでプレイヤーを撮影し、
プレイヤーの骨格の動きを感知して
ダンスやスポーツを楽しめる「Kinect(キネクト)」いう機器は
人体検出技術がまだ一般化していない時代だったので驚かされた。



f:id:IKUSHIMA:20211122094929j:plain


一番衝撃的だったのは「実績」というシステムだ。


ゲームをプレイ中に特定の条件を満たすと
「ポコン♪」という音とともにポイントが入る。
ゲーム1本で計1000点になるよう割り振られており、
いわば「そのゲームのやり込み具合」を数値化したようなイメージだ。


今までだったら普通にクリアするだけだったのに
実績を取るために縛りプレイを要求されたり
難易度の高いモードに挑戦したりと
遊びの幅が広がる素晴らしいアイデアだった。


私はこの実績稼ぎに大ハマりして
実績マニアたちの知識が集まるWikiを参考に
限りなく1000点に近いプレイを目指したり
実績が稼ぎやすいゲームを買い集めたりした。


そのうち日本で手に入るゲームだけでは足りなくなり、
日本未発売のゲームを海外サイトから通販で取り寄せて
英語のままプレイするようになった。
せっかくなのでレビュー専用のブログ(現レブログ)を開設して
プレイしたすべてのゲームの感想を公開するようにした。



f:id:IKUSHIMA:20211121215107j:plain


毎日がむしゃらにプレイしていたので
ポイントの合計(ゲーマースコア)は4年間で20万点を超えた。
ゲーム1本あたり1000点までしか稼げないので
最低でも200本は遊んでいることになるが、
満点を取るのが非常に難しいものもあり、実際には300本以上を要した。


ゲーマースコアのランキングを表示するサイトもあったが、
日本で14位ぐらいまで上り詰めて
世界1位だった人ともフレンドになった。
最終的には26万を超えたぐらいまでいった。
社会人になってから一番ゲームをしていた数年間だったと思う。


のちにプレステ側にも「トロフィー」と呼ばれる同様のシステムが追加されたが、
プラチナ・ゴールド・シルバー・ブロンズといった大雑把な分類しかなく、
非常に細かい配分がされていたXbox360の実績に比べると面白みがない。

第4次ゲーム機戦国時代

f:id:IKUSHIMA:20211121221318j:plain


Xbox360の登場から1年ほど経った2006年、
ソニーが「プレイステーション3」を発売した。
(この頃から「プレステ」ではなく「PS」と呼ばれ始めた)


PS3はXbox360とシェアを争っていくことになるが、
この時代はマルチプラットフォーム開発の整備が進んでおり、
それぞれの機種で同じタイトルが発売されることが多かった。


ハードの違いは特定の専用タイトルでしか生まれず、
世界的に見るとそこまで大きな差はなかったが、
日本ではPS勢の方が多かった。


いずれにしろ家庭用ゲーム機のスペックが上がったことで
家でも十分なクオリティのゲームが楽しめるようになり、
徐々にアーケードゲーム(ゲームセンター)の人気は下がっていった。



f:id:IKUSHIMA:20211121222103j:plain


同じ年、任天堂から「Wii」が発売された。


2世代にわたって覇権を奪われてきた任天堂は
ハイクオリティなグラフィックやスペック争いには追従せず、
シンプルな縦型リモコンをコントローラーにして
誰でも気軽にゲームが楽しめる方向性で攻めてきた。


テレビの近辺に置いたセンサーバーとリモコン内部のセンサーにより
コントローラーの傾きや狙っている場所、
振り回した勢いなどを感知することができ、
銃や剣、またスポーツなどに見立てることで
さまざまな体感ゲームをプレイすることができた。


このコンセプトは大成功で
複雑化・高度化が進んでいた最新ゲームを敬遠していた
ライトユーザーやファミリー層が飛びつき、
歴代ゲーム機の中では最短期間で販売数を伸ばしていった。


ただ、身体を動かしてプレイするゲームが多かったため、
開発者たちはテストプレイが大変だったという。


mclover.hateblo.jp


2008年に私が結婚したときには
その数年前に受け持っていた卒業生たちがお金を集めて
Wii本体やWiiFit、ゲームソフトも含めた
フルセットをプレゼントしてくれて驚いた。

携帯ゲーム機の歴史

少し時代を戻し、携帯ゲーム機の歴史を振り返ってみる。


f:id:IKUSHIMA:20211119101750j:plain


1989年に任天堂が発売したゲームボーイは圧倒的な人気で、
その勢いに続こうと翌年にセガが「ゲームギア」を、
NECが「PCエンジンGT」を発売。
1990年代後期になるとSNKから「ネオジオポケット 」、
バンダイから「ワンダースワン」などが発売されたが、
いずれも対抗することができなかった。


それほど携帯ゲーム機としてのゲームボーイの強さは凄まじく、
スーパーファミコン上でゲームを動作させる「スーパーゲームボーイ」、
小型軽量化した「ゲームボーイポケット」「ゲームボーイライト」、
カラー液晶を搭載した「ゲームボーイカラー」と
実に10年以上も同一シリーズで市場を制圧した。



f:id:IKUSHIMA:20211122105458j:plain


2001年、そんな大人気のゲームボーイの後継機として
ゲームボーイアドバンス」が発売された。


ゲームボーイでは縦型だった本体が横向きになり、
カートリッジは小型化された上に
ゲームボーイのソフトをそのまま挿すこともできて
弱点らしい弱点がないまま大ヒットしていった。


その後、四角い折り畳み型になった「ゲームボーイアドバンスSP」、
極端に小型化した「ゲームボーイミクロ」なども発売し、
やはり携帯ゲーム機の一大勢力となった。



f:id:IKUSHIMA:20211122110736j:plain


2004年になると、そんな任天堂が上下2画面を搭載した
ニンテンドーDS」を発売した。


幼い頃に遊んだゲーム&ウォッチを思い出すデザインだったが、
タッチペンを使った簡単な操作方法や
すれちがい通信といった新しい楽しみが生まれ、
脳トレブームなどを起こしてかなりの人気になった。


家庭用ゲーム機では敗北を喫することがあった任天堂だが、
携帯ゲーム機に限って言えば
ずっとトップの座を維持していると言える。



f:id:IKUSHIMA:20211122205336j:plain


プレステ2で家庭用ゲーム機の方を支配していたソニーからは
ニンテンドーDSの対抗馬として
プレイステーション・ポータブル(略してPSP)」が発売された。


ニンテンドーDSに比べてゲーム好きのためのラインアップが多く、
動画再生機としても悪くない性能を持っていたため、
ゲームファンが持ち歩くならPSPを選ぶ、という印象だった。
ただ、そこまでの人気だったのは日本だけで、
世界的にはニンテンドーDSに圧倒的な差をつけられていた。



f:id:IKUSHIMA:20211122110940j:plain


その後、2011年にニンテンドーDSの後継機である
ニンテンドー3DS」が発売された。
商品名通り、裸眼での立体映像表示こそ最大の特徴で、
1995年に大失敗したバーチャルボーイの雪辱を果たしたといえる。


ただ、最初こそ好奇心で立体映像を楽しんだが、
徐々に目の疲れや遊びづらさの方が上回るようになり、
みんな3D表示をオフにしてプレイするようになった。


順当な進化であり、ハードとしてのデキは悪くなかったが、
3DSならではのソフトというものがほとんどなく、
DSほどの販売数が得られずに終わってしまった。



f:id:IKUSHIMA:20211122210759j:plain


同じ年、ソニーからもPSPの後継機として
PlayStation Vita(略してPS Vita)」が発売されたが、
こちらはもっとひどく、まったく人気が出なかった。
まさに惨敗といえる結果だった。

第5次ゲーム機戦国時代

Nintendo任天堂 Wii U ベーシックセット 8GB


2012年、任天堂がWiiの後継機として
コントローラに液晶ディスプレイを搭載した「Wii U」を発売した。


Wiiが非常に高い人気だっただけに期待され、
「スプラトゥーン」という超人気ソフトを生み出したものの
その後に続くソフトのラインアップが少なく、
また、Wiiで気軽に遊んでいたようなライトユーザーは
今持っているWiiのゲームで十分満足していることもあり、
あまり目立つ機会がなく消えていくことになった。



f:id:IKUSHIMA:20211121223521j:plain


2014年、「プレイステーション4」が発売された。


同じ年、Xbox360の後継機としてXbox Oneも発売された。
ひとつ前の時代では拮抗していた2大勢力だったが、
日本ではPS勢が上回っていたこともあって
Xbox Oneはまったく話題にならなかった。


つまりこの世代はPS4が家庭用ゲームの王者として君臨しており、
本格的なゲームを遊ぶならPS4一択だった。



f:id:IKUSHIMA:20211122211333j:plain


この頃になると私の教え子たちもずいぶんゲーム業界へと就職しており、
仕事で出向いた東京ゲームショウでは
懐かしいプロになった彼らに再会することができた。


mclover.hateblo.jp


さらには私が20代の頃に作ったゲームを見て
ゲーム業界を目指した読者の方まで現れて驚いた。

Nintendo Switch登場

f:id:IKUSHIMA:20211122105520j:plain


私が40歳になった2017年、
任天堂が「Nintendo Switch」を発売した。


液晶モニターを搭載した携帯ゲーム機でありながら
充電台に置くことでそのままテレビに映して
家庭用ゲーム機としても楽しむことができる。


コントローラーは左右のパーツに分解できて
ファミコンのようにみんなで遊べる上に、
DSや3DSのように複数台のSwitchを持ち寄って
ローカル通信で友達と対戦・協力プレイすることもできた。


コントローラーにはジャイロセンサーが仕込まれていて
Wiiのような体感ゲームも実現できた。
ソフト不足で失敗したNINTENDO64、ゲームキューブ、
Wii U、ニンテンドー3DSの反省を活かして
インディーゲームをどんどん誘致してラインアップを増やした。


まさに任天堂がこれまでの30年間で培ったノウハウを
すべて集結させたようなゲーム機だった。
当然ながら全世界的にものすごい勢いで売れまくった。


莫大な開発費を投じて作られるハイクオリティなゲーム、
いわゆるAAA(トリプルエー)タイトルならPS4に軍配が上がるものの、
純粋にゲームの面白さを幅広い年齢層に味わわせるという意味では
Switchの狙いが大正解だったと言える。

すべてのゲームはつながっている

こうして見ると、各ゲーム機の存在が複雑に絡み合い、
いくつもの時代を築いてきたと言える。
まったく互換性のないゲーム機であっても
実はいろいろな影響を生んでいるのだ。


ゲーム機はおよそ6年前後で世代交代するので
今後も定期的に新しい文化や刺激を体験できるだろう。
また数十年が経った頃にこの続きをまとめてみたいと思う。



f:id:IKUSHIMA:20211122221753j:plain


最近では古いゲームがリメイクされることも多く、
懐かしい思い出が蘇る機会も増えた。


当時、強烈な衝撃を受けたスーパーマリオを
幼い頃に遊んだゲーム&ウォッチで遊べるというアイテム
私にとっていかに感慨深いか、伝わるだろうか。

あの頃、ゲームといえばこんなだった<1998年~2005年>

f:id:IKUSHIMA:20211120161755j:plain


目次

徐々に広がるインターネット

f:id:IKUSHIMA:20211121115841j:plain


1990年後半、世の中にインターネットが広まり始めたが、
会社や学校などのビジネス利用を除き、
各家庭では常時接続は実現しておらず、
夜11時から翌朝8時までの深夜帯に限って定額利用できる
テレホーダイ」というサービスを使うしかなかった。


結果的にオンラインゲームは夜更かしして遊ぶしかなく、
ゲームファンたちの生活リズムを狂わせた。
その分、いつでもインターネットができるネットカフェは人気があった。



f:id:IKUSHIMA:20211121121743j:plain


私も当時ハマっていた「DIABLO(ディアブロ)」というゲームを題材にした
Webサイトを手探りで開設した。1998年のことである。


最初はゲームのプレイ日記を載せていたが、
飽きるにつれて徐々に普通の日記を書くようになり、今に至っている。

第3次ゲーム機戦国時代

f:id:IKUSHIMA:20211121100927j:plain


当時、プレイステーションとセガサターンが
NINTENDO64を抑えて2強時代を築いていたが、
1998年終盤、セガが「ドリームキャスト」を発売した。
次世代機と呼ばれたハードがさらに次の世代に移ろうとしていた。


サターンへの思い入れが強かったので
その後継機ということもあってすぐに買うことに決めた。
中高時代は金の工面にあれほど苦労した私だが、
社会人となったために自由に使える金額が劇的に増え、
抑圧されていた分、簡単にタガが外れるようになっていた。


ドリームキャストには「ジェットセットラジオ」、
「スペースチャンネル5」「クレイジータクシー」などの名作もあったが、
コントローラーに付けたマイクを通じて
人面魚のようなキャラクターを育てる「シーマン」は大きな話題を呼び、
四苦八苦しながらプレイした日々は私にとっても思い出深い。


mclover.hateblo.jp


「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」と
1980年代以降に世の中を騒がせたノストラダムスの大予言だが、
結局、1999年の7月は何事もなく過ぎていった。
人類滅亡を信じて全財産を使い切った人は絶望した。



f:id:IKUSHIMA:20211121100936j:plain


2000年になるとソニーから「プレイステーション2」が発売された。


本体を縦置きに設置することもできるので
テレビ周辺のスペースに合わせて置くことができること、
プレステ1のソフトもそのまま動作するために
プレステユーザーは安心して買い換えることができること、
DVDが再生できたために映画を観るプレイヤーしても利用できること、
その特徴のどれもが強力な武器として働き、その地位を押し上げた。


ユーザーの利便性を考えたその設計により大人気になり、
販売数の多さが人気ソフトの発売をさらに呼び込んで
凄まじい勢いでゲーム機戦線の王者にのし上がった。
現時点でも史上で最も売れたゲーム機とされている。
(世の中にDVDが浸透したのもプレステ2の功績と言える)


mclover.hateblo.jp


f:id:IKUSHIMA:20211121101239j:plain


任天堂からは2001年に「ゲームキューブ」が発売された。


「ピクミン」「ルイージマンション」、
「スーパーマリオサンシャイン」「ペーパーマリオRPG」、
「ゼルダの伝説 風のタクト」などの名作を生んだものの、
プレステ2の圧倒的な人気に叩きのめされた。


スーパーファミコン時代にゲーム業界を牽引していた任天堂だが、
2世代続けて敗北し、この頃は非常に影が薄かった。



f:id:IKUSHIMA:20211121161042j:plain


さらにWindowsで有名だったマイクロソフトからは
Xbox(エックスボックス)」が発売された。


アメリカ発らしいゴツい本体とバカデカいアダプターだったが、
日本での存在感はゲームキューブよりもさらに小さく、
周囲で持っている人はほとんどいなかった。



f:id:IKUSHIMA:20211121163341j:plain


ただ、「HALO(ヘイロー)」というFPSが評判になっており、
どうしてもそれがやりたくて買ってしまった。
本体ごと買っても後悔しないほどよくできていて、
この時代にHALOが経験できたのは十分な価値があった。



f:id:IKUSHIMA:20211121162858j:plain

写真:John Tregoning 


また、カプコンから発売された「鉄騎(てっき)」というゲームも強烈で
2本のレバーと40個以上のボタンがついたコクピット型コントローラー、
それに3つのペダルを使ってロボットを操縦するものだった。


正しい手順でいくつものボタンとレバーを操作しないと起動すらせず、
味方の指示を聞くにはダイヤルを回して周波数を合わせる必要があり、
自機が破壊されたときは素早く脱出ボタンを押さないと
そのままセーブデータが消えるという骨太な仕様だった。
もちろんこの専用コントローラー以外ではプレイできない。


コントローラー込みで2万円もしたのだが、
50cm四方で重さ8kgというパッケージに入っている上、
コントローラーは組み立てると幅80cmにもなった。
高い出費だったが、これも非常に貴重な経験になった。

転職とフリーソフト制作

苦労して念願のゲーム業界に入社した私だったが、
なんと勤め先がゲーム事業から撤退することになったため、転職を決意した。


いろいろと仕事を探してみたが、結局、専門学校の講師として
昔の私と同じようにゲーム業界を目指す学生たちに
プログラミングの指導をしていくことに決めた。



f:id:IKUSHIMA:20190807155111j:plain


とはいえ、「ゲームが作りたい」という想いはあったので
趣味で作ってインターネットで無料公開していくことにした。



f:id:IKUSHIMA:20190807153327j:plain


最初に作ったのはタイピングソフトだ。
当時、「ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド」や「Ozawa-Ken」などを中心に
タイピング練習を題材にしたゲームが流行っており、
授業で教えている技術の練習代わりに作ってみた。
2000年に公開し、現時点で累計70万ダウンロードになっている。



f:id:IKUSHIMA:20190807084320j:plain


そこからしばらく経った2003年、
横スクロールのシューティングゲームを公開した。
当時の教え子たちがテストプレイにかなり協力してくれたこともあって
その遊びごたえが評判を呼び、現時点で累計102万ダウンロードと、
私の作品の中でもトップの人気になった。


隠された条件を満たすと手に入る勲章や
侵攻距離を競い合うゲーム性のおかげでユーザー間で攻略情報が飛び交い、
グラフィックを置き換えて遊ぶMODも大量に生まれた。



f:id:IKUSHIMA:20190807140057j:plain


同じ年の10月、今度はパズルゲームを作った。
学生と制作物に関する相談をしているときに思いついたものだが、
私が提案したアイデアに学生が乗ってこなかったため
自分で作ることにしたのだ。


この作品の累計ダウンロード数は23万ほどだが、
ゲーム業界の団体が主催する作品コンテストで優勝した。


mclover.hateblo.jp


授賞式にはドラゴンクエスト関係で堀井雄二も来場しており、
中学の頃に読んだドラクエ開発の本を思い出して感激した。


mclover.hateblo.jp


また、このコンテスト受賞をきっかけに
雑誌社から連載記事の依頼をもらうことができた。
個人の趣味でしかなかったゲーム作りとブログ執筆が
それぞれ具体的な金銭を生み出した形になった。



f:id:IKUSHIMA:20190807145620g:plain


2005年にはゲームではなくグラフィックツールを公開した。
ゲームとは違う知識や配慮が必要な部分が多かったが、
その分、経験値を上げることができた。


すでにインターネットが普及していたこともあって
ゲームファンではなく絵を描く趣味を持つ人に人気が出て
累計で46万ダウンロードほどになった。


mclover.hateblo.jp


これもWeb上のソフトウェアコンテストで受賞したり
朝日新聞の土曜版やNHKの趣味番組で紹介されたりしたが、
10年ほども経ってからアニメ番組のエンディングに採用されて驚いた。



f:id:IKUSHIMA:20190807133035j:plain


ちょうどこの頃、受け持っていた授業の内容を
2Dプログラミングから3Dプログラミングへと移行したため、
その練習として2005年に3Dシューティングゲームを作った。


累計ダウンロード数は40万ほどだが、
2年前に作った2Dシューティングと同様、
あまり言語を問わないゲーム性だったため、
海外のゲームファンたちにもずいぶんと遊んでもらった。



f:id:IKUSHIMA:20211121175819j:plain


中でも勝手にプログラミングを解析し、
ハングルに完全対応させた海賊版が登場したのには驚いた。
(海賊版なのにわざわざ公開許可を依頼する丁寧な連絡があった)


ゲーム業界の開発現場からは離れてしまったが、
ゲームを作る大人になるという夢は叶ったのではないかと思っている。


mclover.hateblo.jp

総アクセス数