プチメタ3.0

刺激を受けた物事に対する感想や考察、資産運用や英語学習、自己成長に関することなど。


役に立たなかった授業も実は必要



「学校で勉強しておいた方がいいこと」は非常にたくさんあって
学校ではなるべく多くの学生に役立つであろうことを教える。

そのため、「自分はAという知識は使わなかったから、
 学校で教える必要はないでしょ」という理屈を持ち出すのは間違いだ。

BとCという知識しか使わずに目的を達成する学生もいれば
AとCという知識を使って成功を収める学生もいる。
学生がどういう進路をとってもある程度カバーできるよう
AもBもCも教えるカリキュラムになるのだ。

確かにAを使わずに成功する学生もいるかもしれないが、
それはあくまで結果論であり、ピッチャーになった野球選手が
「こんなことならバッティング練習なんてしなくてよかった」
と言っているに過ぎない。
Aを習得しなかったために失敗する学生もいるため、
将来必要になる可能性がある程度高いなら
学校としては全員にAを教えようとする。

また、「できればDも教えて欲しかった」という意見もよく出る。
確かにそれを勉強しておけば役立つだろう、と思うこともあるが、
時間が有限であることと、学生全員に教えることを踏まえると、
Dを教えようとするとA・B・Cを教える時間がなくなってしまったり、
多くの学生にとってDが難しすぎて理解できなかったりする場合、
授業に取り入れられる優先度は下がってしまう。

もちろん、時代や環境の変化により
多くの学生の将来に無益な知識は取り除かなければならないし、
こういった取捨選択は慎重に行わなければならない。

要はつぶしが利く知識を身につけさせることが
多くの学生の幸福度を上げられる可能性が最も高い。
学校の授業はいわば最大公約数なわけだ。

一個人の視点で振り返ると
学校のカリキュラムには不満を感じるかもしれないが、
進路が未確定のうちは
いろいろな勉強を嫌がらずにすることをオススメする。


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