プチメタ3.0

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嫌われない先生になるのは簡単だが、それでは良い先生になれない

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今まで受け持ってもらった先生を思い返すと
ガミガミと口うるさい先生と
穏やかであまり怒らない先生がいた。


評価や指導が厳しい先生は
学生(生徒)から敬遠されることが多いが、
いざ先生という立場になってみると、
実は嫌われないように振る舞う方が遥かに楽だ。


学生の言動をいちいち注意するよりも
寛容な態度で放置してしまう方が嫌われなくて済むだろう。
しかし学生は自分の言動に問題があることを自覚できず、
いつか大切な場面で厳しい評価を受けることになる。


学生の作った作品に細かくダメ出しをするよりも
出来不出来にかかわらず無条件で褒める方が楽だ。
しかしどう作っても褒められるばかりだと
実は問題があるのか、本当に評価される価値があるのかが
正しく判断できなくなってしまう。


学生のことを正しく見定めて必要な改善点を挙げたり、
いちいち細かい指導を続けるのは多大なエネルギーを使う。
その原動力は「学生を成長させよう」という責任感だけだ。


学生に期待せず、適当にあしらうだけならどれだけ楽だろう。
エネルギーを使わず、しかも学生に嫌われなくて済むのだから
面倒くさがって「優しい先生」に成り下がる人もいる。


しかし学生を変化させられなくて何が先生だ。


学生は成長するために費用と時間を投じて学校に通っているわけで、
そのコストに見合うだけの変化を与えるのが先生の役目だ。
嫌われることや手間をかけることを嫌がるような先生は
自分の利益しか考えていない無責任なクソくらえだ。


本当に良い先生はウソをつかずに評価する。
本当に良い先生は学生から嫌われることを恐れない。
本当に良い先生は学生に変化を与える。


そして、成長できた学生は
本当に良い先生が誰だったのかを見抜くものだ。

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