プチメタ3.0

刺激を受けた物事に対する感想や考察、資産運用や英語学習、自己成長に関することなど。


子供を持たない権利と幸せもある


姪についての日記を書くたびに
「子供嫌いのはずだったのに、子供が好きになったんじゃないの?」
みたいなメールを読者の方からもらうのだが、
私は相変わらず子供嫌いだ。


電車で隣に座られようものならストレスMAXだし、
知らない子供と無条件に遊ぶ気もしない。
子供が遊んでいるのを見てもうるさいとしか思わない。


「自分の子供は姪以上にカワイイかもよ?」
ということも言われたりするけど、
自分の子供の場合、かわいいだけじゃなく
何十年にわたって責任や経済的負担が膨大に発生するので
自分の時間や資産を切り崩してまで子供が欲しいという思いがない。


姪が最高なのは、自分の子供のように懐いてくれる上に
養育の責任やお金の問題が一切発生しない気軽さ、
一言で言えば「子育てのいいとこ取り」ができることだ。
これは姪や甥がいる人ならわかってくれるんじゃないか。


もちろん、苦労して自分の子供を育ててこそ
得られる経験というのもあるだろうけど、
それを味わいたいと思う気持ちが
責任や負担を負う覚悟を上回らない限り子供はいらない。


やたら子供をもうけることの魅力を勧めてくる人がいるが、
「共働きで子供なし(DINKs)」という経済的に優秀な家族形態にも
かなりの魅力があるのはわかってもらえないのだろうか。


こんなことを書くと
「奥さんは子供を欲しがらないんですか?
 奥さんのご両親も本当は孫の顔を見たいのでは」
などと勘繰ってくる人までいる。


もちろん妻には結婚前からさんざん私が子供嫌いであることや
子供が欲しくないと思っていることは伝えているのだが、
この意見のもっともイヤなところは
「奥さんのご両親も『本当は』孫の顔を見たいのでは」の部分である。


悪意がないのだろうが、この「本当は」の部分の裏には
「表面的には同意しているように見えるが真意は違うのでは」
というニュアンスが隠れている。


「子供はいらない」と宣言するとよくこういう勘ぐり方をされる。
これは「子供がいない家庭」を普通じゃないと捉えているからだろう。
「あなたはいらないと言うけど、
 周りには欲しいと思ってる人がいるんじゃないの?」
「そんな(普通じゃない)ことをして反対する人はいないの?」
といった具合だ。


結婚前に子供嫌いについての文章を載せたときにも
「お父さんの気持ちを考えてあげてください!」と
私を叱責するメールをもらったことがある。


我々夫婦がいらないと言っているのに
なぜかむやみやたらにそのことを心配したり、
戒めたりしてくる人が後を立たない。


男の私ですらそうなんだから
子供が欲しくないと考えている女性たちは
日々、相当な圧力を受けているのだろう。


いくら言われようとも私としては
当事者である夫婦さえ納得していれば
その方針は誰がなんと言おうと変更する必要はないと考えている。


これは「マンションに住むか、一戸建てに住むか」と同じように、
あくまで夫婦に決定権がある人生設計のひとつだ。
悩んでいる人の相談に乗ったり意見を出すのはともかく、
完全に結論が出ているなら部外者がそれを覆す必要はない。


仮に我々の両親が「本当は孫が欲しい」と思っていたとしても、
夫婦自身が欲しがっていないのに
両親の意見を受けて子供をもうける方がよっぽど無責任ではないか。


今後の何十年間、子供を育てていくという
責任を負う覚悟を持った夫婦こそ子供をもうけるべきで、
世間体を気にしたり親へのプレゼント気分で子供を作るのはおかしい。


「老後や病気になったときが心配じゃないの?」と言われることもあるが、
私は仮に子供がいたとしても
自分の老後の面倒や病気の看護に子供を頼ろうとは思わない。
親の世話をさせるために子供がいるとは考えないし、
それを期待して子供を欲しがるのも間違っていると思う。


そもそも子供を勧めてくる人の大半が、
「子供がいることが最高の状態である」と妄信しているが、
子供がいないからといって家庭に不足が生じているわけではない。
子供がいない家庭にしか味わえない幸せというのもたくさんあるのだ。


夫婦ふたりだけの私たちは
子供の安否を心配をする必要もなく、
子供を気にして外泊や外出に制限がかかることもなく、
養育にかかる費用を苦労して捻出することもない。


子供がいるからこそ味わえる幸せもたくさんあるだろうが、
私たちは子供がいたらできなかった満足を
たくさん得ることができるのだ。


子供を持たない選択が真っ当なものだと
なぜ信じてもらえないのか。



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