プチメタ3.0

刺激を受けた物事に対する感想や考察、資産運用や英語学習、自己成長に関することなど。

平成世代の個人的見解

仕事上、毎年新しい世代と関わるわけだが、
平成生まれ世代(以下、平成世代)から
急激にこれまでと感触が変わったように思う。

f:id:IKUSHIMA:20180119115658j:plain

●中心層のレベルが下がった

よくできる学生と
全然できない学生がいるのはごく当たり前。
全然できない学生における「全然できない」レベルが
毎年下がっているのも承知している。
(このあたりは2年前に書いた「学生事情の個人的見解」を参照)

しかし、平成世代になってから
世代の大半の層(中心層)のレベルがガクっと下がった。
若者に必須の「成長」の要素が恐ろしく弱まった。
今までは「できない学生」のレベルの低さが驚きの理由だったが
コアである中心層のレベルが低くなったのは衝撃だ。

いや、実際には学力が下がっているというよりも
「熱意」や「努力」の度合いが下がった感じだ。ここが非常に難しい。
試験などではそれなりの結果が出るのだ。
場合によっては昭和世代より高い結果が出たりする。
しかし総合的な実力が上回っているかというと
もうこれは相当に厳しい。
(「いや、この人は平成生まれだけどスゴイですよ!」みたいな
 一部の特例を挙げての反論は無意味なので却下。
 世代層の規模で考えなければならない)

●怒られないことの弊害

原因として考えられるのは
よく言われる「怒られる機会が減ったこと」にあるかもしれない。
意味もなく理不尽に怒るのはよくないが、
善悪の判断を下させるためや、
周囲と衝突しない社会性を身に付けるための躾(しつけ)は
成長過程で絶対に必要なはずだ。

それを「怒るのはかわいそう」という理由で許容してしまったり
「うちの子を怒るんじゃない」と保護者が拒否して
叱咤される機会を失わせたりすると、
実際に大人になったときに
常識があれば普通は躊躇するような言動を
平気でしてしまったりする可能性がある。

子供の頃は「怒られない=しても許される言動」と認識するので
かわいそうだからと怒らないと
この時点で社会とのズレが生まれる。
社会に出て初めて他人から咎められたり文句を言われたりすると
「え?なぜ怒られるの?悪いことしてないのに」となってしまう。
本人が悪いのではなく、悪いと知らないのだ。
いわゆる「社会性がない」というやつである。
これがどんなに恐ろしいことか。これこそ「かわいそう」だ。
「かわいそうだから怒らない」というのは
十数年後に社会とのズレを味わわせる非常に残酷な行為だ。
これが過保護の最も悪い点だと思う。

●下手な褒め方が意欲を失わせる

なぜ努力の度合いが減った原因に
「怒られる機会が減ったこと」を挙げたかというと、
この裏に「簡単に褒められるようになったこと」が隠れているからだ。

「怒る代わりに褒める」「褒めて伸ばす」
この方針をはき違えると、少しの努力で褒められてしまい、
低いラインで満足してしまうのだ。
ごく人並みのこと、または人並み以下のことしかできていないのに
「よくできた。よくやった」と褒められると
世間と比較したときの自分の実力が判断できなくなる。

小学校1、2年生で「九九が言える」のは大いに褒めてあげればよい。
しかし時期を間違えると九九が言えるだけで素晴らしいと勘違いし、
そのことを頼りに努力を止めてしまう。
小学校高学年になれば九九なんて誰でも言えるのであって、
大切なのは「一般の水準と比較して上回った部分を褒める」か
「できなかったことができた瞬間『だけ』褒める」べきだ。

いつまでも「九九ができたこと」を褒め続けることで
「九九ができる自分はスゴイ」と天狗になったまま時間が経つ。
世間的に評価されなくなった自分に気づくまで
どんどん世間のレベルから遅れていくのだ。
これは「褒めて『伸ばす』」のとは違う。褒めているだけだ。

●努力の部分を評価すべき

賞賛されるべきはその結果を引き出すための「努力」であって、
再び褒められるためには新たな努力が必要だと認識させるべきだ。
努力しなくなれば褒められなくなる。だから努力する。
その流れを理解していない人が「褒めて伸ばす」を
「褒めれば自動的に伸びる」と勘違いして
結果的に若者の成長を止めてしまう。これも残酷だ。

しかし「よく怒る人」「あまり褒めてくれない人」は
若者自身から見ると価値がわかりにくい。
さらにはそれに対して文句を言う保護者までいる。
(「モンスターペアレンツ」というやつである)
上記の流れを理解してもらえれば
筋違いの文句を言うのは非常に損なことなのだ。
子供のためと思って行った行為が逆に働いてしまう。

●能力があるのに、できない

RPGに例えるなら、
平成世代はMP(マジックポイント)が少ないのだ。
大きい魔法を使うほどたくさんのMPが必要になる。

まずは小さい壁を壊すために小魔法を使う。
この時点でMPが消費される。
誰でも使えるはずの小魔法を
使えない人が出てきたのが最近。
これが下のレベルがさらに下がっている現象である。

次に中くらいの壁を壊すために中魔法を唱える必要があるが、
唱えることができない。MPがなくなっているのだ。
中魔法を身に付けていないわけではない。
唱える実力はあるのだが、MPが足りないだけなのだ。
これが、学力としては低くない、ということを指している

●壁を乗り越えようという意欲が低い

MPを回復させる方法はさまざまだ。
休養、目標への意欲、好奇心、義務感。
しかし休養は十分に足りている。
今の世代において、
疲労が努力しない理由になることはほとんどない。

逆にすでに回復しきっているはずなのに
休養し続ける学生はいる。
当然ながらいつまで経っても中くらいの壁は壊れない。

また、「夢を叶えるため(目標への意欲)」
「新たな勉強をしたい(好奇心)」
「学校では勉強するもの(義務感)」なども
あまり持ち合わせていなかったりする。
いずれかをもってMPを回復させなければいけないのだが
なぜか壁を壊す決心しない。

この「MP」を「やる気」や「熱意」と読み替えてもらいたい。

そもそも、中くらいの壁を壊すのに
モタモタしている程度ではダメなのだ。
最終的には大きな壁(社会)に面することになる。
大きな壁を大魔法でぶち破って
社会に出ていかないといけないのに、
中くらいの壁を壊せないようでは終わりだ。

「いつまでも中くらいの壁の前で座っているからいい」
これはニート、フリーターというやつだ。
一見、解決しているように見えるが、
残念ながら壁はベルトコンベアーによって
どんどんと接近してくる。
放置していればそのうち押し潰されて死ぬ。

フリーターでも自立できる、と思う人もいるかもしれないが
フリーターは中くらいの壁は壊せても
大きな壁を壊せない可能性が非常に高い。
つまり、いずれは行き場がなくなるのだ。

いきなりすべての壁を壊すのは大変なので
大学や専門学校で壁を壊す力を身に付け、
最後の大きな壁を突破しないといけない。
よほど遊んで暮らせるような身分にない限り、
この流れは必須のはずだ。

●意欲の低い世代というレッテル

平成世代が成人したというのは
昭和世代からすると時間の流れを痛感する事実だが、
今のままでは「平成世代」というのが
「努力や熱意に欠ける奴ら」というレッテルになりかねない。
平成世代の上位層が
昭和最終世代の下位層と同じ実力という話もある。

難しいのは、学生本人やその保護者は
せいぜい同世代の他人しか見る機会がないので
昭和世代の当時との違いを確認しにくいのだ。
そのため「これで普通なんだ」と判断してしまう。

だが次々と新しい世代と接する立場の人、
たとえば学校の先生、会社の採用担当や新人教育係、
若者を雇用する店舗主などは薄々気づいているのではないか。

とある会社では平成世代を採らないために
1つ上の昭和世代を2倍採用したという噂すらある。
(毎年5人の求人をしてきた会社が
 昨年は10人を採用し、今年は採用しないということ)

これまでの流れを読んで
「その意見は間違っている。一部だけを見て判断しすぎだ」
と感じる人がいるかもしれない。
いやむしろ、できればこの見解が的外れで
実際には以前と変わらない若者がいると願いたい。

これからは平成世代がどんどん社会に出て行くのだ。
昭和世代の偏見を跳ね返す勢いを見せてくれれば
個人的意見の間違いなど何も惜しくはない。


この記事をベースに加筆・修正したものを
Kindleで読める電子書籍として発売中です。

将来に悩む学生に伝えたい55のアドバイス
(2016-04-23)
売り上げランキング: 157,789