プチメタ3.0

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「勉強ができない」とはどういうことなのか


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受動的な過ごし方が染みついているために、
勉強中にすぐ意識が飛んでしまう高校生の話。
完全に落ちこぼれていた高校生が
勉強をする姿勢を会得していく流れにグッとくる。


問題点がどこにあるのかを鋭く見極めて
適切な対処を行った指導者の判断や
本人は泣いていてもそれが進歩だと気づく洞察力が素晴らしい。

「勉強ができない」とはどういうことか

私が受け持つ学生は高校を卒業した者 *1 ばかりだが、
成績が悪いとか暗記が苦手とか計算が遅いなんかより
勉強のやり方が身に付いていない方が遥かに問題になる。


「勉強とはどういう作業なのか」を理解できておらず、
教員がしゃべり始めたら集中して聞く、
必要と思われる情報は書き留める、
わからないことがあれば調べる、
質問や補習が必要なら申し出る、などができない。


授業中に席に座っていることが勉強だと勘違いしている学生は
授業を欠席したり騒いで邪魔したりすることはなくても、
席に座ったままボーッとしていたり、
別の作業に意識を散らしたり、
大事な情報を聞き漏らしたりする。
だから授業には毎回参加しているのに
「まったく話を聞いていないんじゃないか」と思われる言動をする。


また、各授業が独立した内容だと考えてしまい、
以前に習った内容を利用するという発想ができない。
だから先週の授業が理解できないまま
その日の授業を受けて混乱するし、
科目Aで出された課題をこなすのに
科目Bの知識が必要なことに気づかなかったりする。


いざ質問しても一般的に悩むポイントと大きくズレていたり、
あまり意味のない部分に執着する内容だったりする。


こういう学生は「何がわからないかもわからない」という感覚になる。

どうすれば「わからない」が解決するのか

「わからない」というのは道に迷った状態に似ている。


学生自身は「さっきの角で曲がる方向を間違えたかも」と思っているが、
実はその前の、さらに前の、もっと前の分かれ道で
正しい道に進み損ねていたりするのだ。
迷っている本人はどこで間違えたかという正しい判断ができない。


そこで優れた教員はいくつの質問をしながら知識をさかのぼり、
理解できていない根源を探し出す

「道に迷ったときはわかる場所まで戻る」が大原則だからだ。
冒頭で紹介したエピソードでも
高校生がどこまで理解しているのかを探る描写がある。


迷っている本人は自分が来た道もわからないので
わかる場所まで戻ることすらできないし、
わからないまま歩き続ければより深く迷ってしまう。


道に迷って現在地がわからない人が地図を広げても意味がないように、
どこがわからないのかわからない人が参考書など買っても無駄だし、
道に迷っている者同士で相談しても解決するわけがない。


つまり、「わからなくなった段階で早めに教員に質問する」という
ごく一般的な結論になる。もうこれしかない。


「先生が怖い」「理解できていないとバレるのが恥ずかしい」などと
質問を先延ばしにするほど迷子から抜け出せなくなる。
勉強ができない人というのは、道に迷ったことに気づくのが遅く、
いざ迷ったときに適切な人に質問できない人のことだ。


迷っている時間が長いほどゴールに着くのが遅れるし、
他の人との差も開いてしまう。
その恐怖に比べれば教員に質問するなどどれほど楽なことか。



mclover.hateblo.jp

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*1:高卒認定試験を含む

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