プチメタ3.0

刺激を受けた物事に対する感想や考察、資産運用や英語学習、自己成長に関することなど。


あの頃、ゲームといえばこんなだった<1986年~1988年>


目次

ディスクシステム登場

ファミコンは子供がいるほとんどの家庭にあるほど人気だったが、
より多くのゲームをプレイできる画期的なシステムが登場した。



ファミリーコンピュータ ディスクシステム


それがファミコンの「 ディスクシステム」である。


黄色いケースの磁気ディスクにゲームが記録されており、
その内容を読み取ってファミコンに送り込むことで
カセットがなくてもゲームが遊べる仕組みだ。


しかもゲームショップやおもちゃ屋の
店頭にあるディスクライターを使えば
1本500円で新しいゲームに書き換えられるのだ。
つまり新作ゲームが非常に安く手に入る。


ただ、ディスクシステムだけで15000円と
ファミコン本体とほぼ同じ価格だったため、
身近で持っている人はほとんどいなかった。


ちなみに「スーパーマリオブラザーズ2」は
このディスクシステム専用ソフトとして発売された上に
やたら意地悪な難易度だったので知名度が低い。


SHARP ツインファミコン 本体 AN-500B


また、ファミコン本体とディスクシステムを併せ持った
ツインファミコン」という商品がシャープから発売されたが、
3万円を超える価格だったので
「ゲームは子供のおもちゃ」というイメージが強かった当時、
買ってもらえるような子供はほとんどいなかったと思う。
私も実際に見たのは1度だけだ。

裏技の浸透

ファミコン時代はプログラミング技術や
デバッグ手法が成長過程だったこともあり、
ゲームの中にいろいろな不具合が含まれたまま発売された。
現代のようにネットを通じてアップデートすることもできないので
発売時のバグはそのまま世の中に出回った。


その結果、バグを利用して
本来は進めないところにキャラクターを移動させたり
得点や経験値などの数値を簡単に上げたり
なかなか死なないような状況を作り出すことができた。


こういったテクニックは「裏技(または「ウルテク」)」と呼ばれるが、
中には開発者がテストプレイするために用意された隠しコマンドもあり、
「上上下下左右左右BA」というボタン操作の記憶は
今でも大勢の脳の容量を無駄に消費している。


インターネットがなかった時代なので
こういった特殊な情報は誰かが買ったゲーム雑誌をもとに
口コミで広がっていったのだが、
中には本物の裏技の中にデマを混ぜるという企画もあったため、
いくら試しても出せない裏技に混乱させられたこともあった。

連射の流行

当時のシューティングゲームは
ボタンを押しても弾が1発しか発射されず、
ゲームをしている間中ずっとボタンを連打する必要があった。


つまりボタン連打が速いほど有利になるわけだが、
その連射のプロとして秒間16連射を叩き出す高橋名人
「ゲームは1日1時間!」というセリフとともに非常に有名だった。


「テレビゲームは子供が遊ぶもの」というイメージが強かったため、
ゲームに関係する大人としては絶大な知名度があり、
高橋名人を主役にしたゲームも複数あった。


しばらくすると「手袋にバネを仕込む不正をやった」という
謎の悪評が広まったが、
当時は真相を確認する方法が皆無だった。



シューティングウォッチ


自分の連射速度を測るだけの機械も発売された。
10秒間で2つのボタンを叩いた回数が表示されるので
160以上なら秒間16連射となる。
(ただし2つのボタンの合計なので高橋名人には及ばない)


筋肉を硬直させて振動を生み出す痙攣打ちや
2本の指で交互に叩くピアノ打ちよりも
軽く握った拳の爪4本でボタンをこする「こすり打ち」が強いのだが、
爪もボタンも傷だらけになった。


小学校の休み時間では連射数競争が繰り広げられたが、
そのうち誰かが金属の定規の片方を手で押さえて
反対側をビヨンビヨンと弾いてボタンに当てる方法を披露し、
それまでの記録とかけ離れた数字を叩き出したことで
みんなの熱中度が急速に冷めていった。



FC ファミコン 周辺機器 ハドソン ジョイカード 連射コントローラー


シューティングゲーム以外にも
「ハイパーオリンピック」のような連打を使うゲームが多かったため、
ファミコン前側の端子に差して使う連射コントローラーも発売された。


A・Bボタンの連射具合を切り替えられるので
ゲームによって適切な設定を選べるようになっていたが、
スポーツ選手のドーピングにも似た
「連射コントローラーは邪道」という空気があり、
むやみに使えばいいというものでもなかった。


時代が進むにつれてボタンを押しっぱなしにするだけで
何発も弾が出るシューティングが主流となり、
連打を強要されるゲームは見なくなっていった。

RPGブームの始まり

1980年代後半になるとゲームの中でも
RPGの人気が上がってきた。



ドラゴンクエスト


特に「ドラゴンクエスト」シリーズは発売のたびに熱狂ぶりが話題になり、
学校を休んで買いに行ったり、
無事に買えた子供を脅して取り上げる強盗など
社会問題としてもよくニュースになった。


同時に「ファイナルファンタジー」シリーズも台頭してきており、
人によってドラクエ派とファイファン派に分かれた。
(当時は「FF」ではなく「ファイファン」と呼ぶ人が多かった)


それだけに、それぞれを開発会社したエニックスとスクウェアが
合併してひとつの会社になったときは驚いた。


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ゲーム音楽のサウンドトラックなども出回り始め、
給食の時間にドラクエやファイファンのテーマ曲が放送で流れて
クラス内のゲーム好きたちが盛り上がったりしていた。


ただ、友達の家で遊ぶタイプのゲームではないので、
ファミコンを持っていない私は遊ぶ機会がなく、
「経験値」「転職」「白魔導士」などの言葉が理解できなかった。


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RPGは何日もかけて冒険を進めていくが、
ファミコンにはデータを記録する装置がなく、
電源を切ると遊んでいた情報はすべて失われてしまう。


そこで初期のドラクエでは位置情報やキャラの強さといった数値を
文字に置き換えてプレイヤーにメモらせ、
次回のプレイ時にそれを入力させることで前回の状態を再現する
「復活の呪文」という一種のパスワードが利用されていた。


復活の呪文を書き留めたメモさえあれば
友達の家のドラクエでも続きが遊べるという意味では画期的だったが、
解像度の低い当時のテレビと字が汚い小学生という組み合わせにより
「べ」「ぺ」、「め」「ぬ」が判別ができずに
再開不能になるという事故もよく起こった。



ドラゴンクエストIII そして伝説へ…


その後、電源を切るとデータが消えてしまうなら
ずっと電気を流し続ければいい、というアイデアから
ファミコンカセットの中に電池を仕込んだ
「バッテリーバックアップ」という仕組みが登場し、
「ドラゴンクエスト3」あたりから搭載されるようになった。
復活の呪文を使わずにセーブできる仕組みは画期的だった。




バッテリーバックアップのゲームを遊び終わるときは
「リセットボタンを押しながら電源を切る」という謎の操作を必要としたが、
誤操作や電池部分の接触不良によってセーブデータが消えてしまい、
長い冒険がやり直しになってしまうトラブルも話題になった。


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