プチメタ3.0

刺激を受けた物事に対する感想や考察、資産運用や英語学習、自己成長に関することなど。


あの頃、ゲームといえばこんなだった<2005年~2017年>


目次

Xbox360に熱中する日々


2005年、Xboxの後継機として
Xbox360(エックスボックスさんろくまる)」が発売された。


いよいよインターネットの常時接続が浸透し、
ワイドテレビも各家庭に普及していたため
旧世代と比べてかなりの進化を感じた。


HD画質のリアルなグラフィックが素晴らしく、
「もうこれは実写じゃないか」と誰もが思った。
この頃から海外ゲームの勢いが凄まじくなり、
「ゲームといえば日本」という印象は薄れていった。


ゲームの発売後もインターネットを通じてアップデートされたり、
「ダウンロードコンテンツ」という追加販売の文化も生まれた。
自宅でのオンラインプレイも当たり前になっていった。




ワイヤレスコントローラーも発売されるようになり、
ファミコンのときのように
本体を引っ張ってしまう事故はなくなった。
コントローラーからゲーム機の電源をON/OFFできるのも嬉しかった。

Xbox 360 Kinect センサー

また、テレビの近くに置いたカメラでプレイヤーを撮影し、
プレイヤーの骨格の動きを感知して
ダンスやスポーツを楽しめる「Kinect(キネクト)」いう機器は
人体検出技術がまだ一般化していない時代だったので驚かされた。




一番衝撃的だったのは「実績」というシステムだ。


ゲームをプレイ中に特定の条件を満たすと
「ポコン♪」という音とともにポイントが入る。
ゲーム1本で計1000点になるよう割り振られており、
いわば「そのゲームのやり込み具合」を数値化したようなイメージだ。


今までだったら普通にクリアするだけだったのに
実績を取るために縛りプレイを要求されたり
難易度の高いモードに挑戦したりと
遊びの幅が広がる素晴らしいアイデアだった。


私はこの実績稼ぎに大ハマりして
実績マニアたちの知識が集まるWikiを参考に
限りなく1000点に近いプレイを目指したり
実績が稼ぎやすいゲームを買い集めたりした。


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そのうち日本で手に入るゲームだけでは足りなくなり、
日本未発売のゲームを海外サイトから通販で取り寄せて
英語のままプレイするようになった。
せっかくなのでレビュー専用のブログ(現レブログ)を開設して
プレイしたすべてのゲームの感想を公開するようにした。




毎日がむしゃらにプレイしていたので
ポイントの合計(ゲーマースコア)は4年間で20万点を超えた。
ゲーム1本あたり1000点までしか稼げないので
最低でも200本は遊んでいることになるが、
満点を取るのが非常に難しいものもあり、実際には300本以上を要した。


ゲーマースコアのランキングを表示するサイトもあったが、
日本で14位ぐらいまで上り詰めて
世界1位だった人ともフレンドになった。
最終的には26万を超えたぐらいまでいった。
社会人になってから一番ゲームをしていた数年間だったと思う。


のちにプレステ側にも「トロフィー」と呼ばれる同様のシステムが追加されたが、
プラチナ・ゴールド・シルバー・ブロンズといった大雑把な分類しかなく、
非常に細かい配分がされていたXbox360の実績に比べると面白みがない。

第4次ゲーム機戦国時代


Xbox360の登場から1年ほど経った2006年、
ソニーが「プレイステーション3」を発売した。
(この頃から「プレステ」ではなく「PS」と呼ばれ始めた)


PS3はXbox360とシェアを争っていくことになるが、
この時代はマルチプラットフォーム開発の整備が進んでおり、
それぞれの機種で同じタイトルが発売されることが多かった。


ハードの違いは特定の専用タイトルでしか生まれず、
世界的に見るとそこまで大きな差はなかったが、
日本ではPS勢の方が多かった。


いずれにしろ家庭用ゲーム機のスペックが上がったことで
家でも十分なクオリティのゲームが楽しめるようになり、
徐々にアーケードゲーム(ゲームセンター)の人気は下がっていった。




同じ年、任天堂から「Wii」が発売された。


2世代にわたって覇権を奪われてきた任天堂は
ハイクオリティなグラフィックやスペック争いには追従せず、
シンプルな縦型リモコンをコントローラーにして
誰でも気軽にゲームが楽しめる方向性で攻めてきた。


テレビの近辺に置いたセンサーバーとリモコン内部のセンサーにより
コントローラーの傾きや狙っている場所、
振り回した勢いなどを感知することができ、
銃や剣、またスポーツなどに見立てることで
さまざまな体感ゲームをプレイすることができた。


このコンセプトは大成功で
複雑化・高度化が進んでいた最新ゲームを敬遠していた
ライトユーザーやファミリー層が飛びつき、
歴代ゲーム機の中では最短期間で販売数を伸ばしていった。


ただ、身体を動かしてプレイするゲームが多かったため、
開発者たちはテストプレイが大変だったという。


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2008年に私が結婚したときには
その数年前に受け持っていた卒業生たちがお金を集めて
Wii本体やWiiFit、ゲームソフトも含めた
フルセットをプレゼントしてくれて驚いた。

携帯ゲーム機の歴史

少し時代を戻し、携帯ゲーム機の歴史を振り返ってみる。



1989年に任天堂が発売したゲームボーイは圧倒的な人気で、
その勢いに続こうと翌年にセガが「ゲームギア」を、
NECが「PCエンジンGT」を発売。
1990年代後期になるとSNKから「ネオジオポケット 」、
バンダイから「ワンダースワン」などが発売されたが、
いずれも対抗することができなかった。


それほど携帯ゲーム機としてのゲームボーイの強さは凄まじく、
スーパーファミコン上でゲームを動作させる「スーパーゲームボーイ」、
小型軽量化した「ゲームボーイポケット」「ゲームボーイライト」、
カラー液晶を搭載した「ゲームボーイカラー」と
実に10年以上も同一シリーズで市場を制圧した。




2001年、そんな大人気のゲームボーイの後継機として
ゲームボーイアドバンス」が発売された。


ゲームボーイでは縦型だった本体が横向きになり、
カートリッジは小型化された上に
ゲームボーイのソフトをそのまま挿すこともできて
弱点らしい弱点がないまま大ヒットしていった。


その後、四角い折り畳み型になった「ゲームボーイアドバンスSP」、
極端に小型化した「ゲームボーイミクロ」なども発売し、
やはり携帯ゲーム機の一大勢力となった。




2004年になると、そんな任天堂が上下2画面を搭載した
ニンテンドーDS」を発売した。


幼い頃に遊んだゲーム&ウォッチを思い出すデザインだったが、
タッチペンを使った簡単な操作方法や
すれちがい通信といった新しい楽しみが生まれ、
脳トレブームなどを起こしてかなりの人気になった。


家庭用ゲーム機では敗北を喫することがあった任天堂だが、
携帯ゲーム機に限って言えば
ずっとトップの座を維持していると言える。




プレステ2で家庭用ゲーム機の方を支配していたソニーからは
ニンテンドーDSの対抗馬として
プレイステーション・ポータブル(略してPSP)」が発売された。


ニンテンドーDSに比べてゲーム好きのためのラインアップが多く、
動画再生機としても悪くない性能を持っていたため、
ゲームファンが持ち歩くならPSPを選ぶ、という印象だった。
ただ、そこまでの人気だったのは日本だけで、
世界的にはニンテンドーDSに圧倒的な差をつけられていた。




その後、2011年にニンテンドーDSの後継機である
ニンテンドー3DS」が発売された。
商品名通り、裸眼での立体映像表示こそ最大の特徴で、
1995年に大失敗したバーチャルボーイの雪辱を果たしたといえる。


ただ、最初こそ好奇心で立体映像を楽しんだが、
徐々に目の疲れや遊びづらさの方が上回るようになり、
みんな3D表示をオフにしてプレイするようになった。


順当な進化であり、ハードとしてのデキは悪くなかったが、
3DSならではのソフトというものがほとんどなく、
DSほどの販売数が得られずに終わってしまった。




同じ年、ソニーからもPSPの後継機として
PlayStation Vita(略してPS Vita)」が発売されたが、
こちらはもっとひどく、まったく人気が出なかった。
まさに惨敗といえる結果だった。

第5次ゲーム機戦国時代

Nintendo任天堂 Wii U ベーシックセット 8GB


2012年、任天堂がWiiの後継機として
コントローラに液晶ディスプレイを搭載した「Wii U」を発売した。


Wiiが非常に高い人気だっただけに期待され、
「スプラトゥーン」という超人気ソフトを生み出したものの
その後に続くソフトのラインアップが少なく、
また、Wiiで気軽に遊んでいたようなライトユーザーは
今持っているWiiのゲームで十分満足していることもあり、
あまり目立つ機会がなく消えていくことになった。




2014年、「プレイステーション4」が発売された。


同じ年、Xbox360の後継機としてXbox Oneも発売された。
ひとつ前の時代では拮抗していた2大勢力だったが、
日本ではPS勢が上回っていたこともあって
Xbox Oneはまったく話題にならなかった。


つまりこの世代はPS4が家庭用ゲームの王者として君臨しており、
本格的なゲームを遊ぶならPS4一択だった。




この頃になると私の教え子たちもずいぶんゲーム業界へと就職しており、
仕事で出向いた東京ゲームショウでは
懐かしいプロになった彼らに再会することができた。


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さらには私が20代の頃に作ったゲームを見て
ゲーム業界を目指した読者の方まで現れて驚いた。

Nintendo Switch登場


私が40歳になった2017年、
任天堂が「Nintendo Switch」を発売した。


液晶モニターを搭載した携帯ゲーム機でありながら
充電台に置くことでそのままテレビに映して
家庭用ゲーム機としても楽しむことができる。


コントローラーは左右のパーツに分解できて
ファミコンのようにみんなで遊べる上に、
DSや3DSのように複数台のSwitchを持ち寄って
ローカル通信で友達と対戦・協力プレイすることもできた。


コントローラーにはジャイロセンサーが仕込まれていて
Wiiのような体感ゲームも実現できた。
ソフト不足で失敗したNINTENDO64、ゲームキューブ、
Wii U、ニンテンドー3DSの反省を活かして
インディーゲームをどんどん誘致してラインアップを増やした。


まさに任天堂がこれまでの30年間で培ったノウハウを
すべて集結させたようなゲーム機だった。
当然ながら全世界的にものすごい勢いで売れまくった。


莫大な開発費を投じて作られるハイクオリティなゲーム、
いわゆるAAA(トリプルエー)タイトルならPS4に軍配が上がるものの、
純粋にゲームの面白さを幅広い年齢層に味わわせるという意味では
Switchの狙いが大正解だったと言える。

すべてのゲームはつながっている

こうして見ると、各ゲーム機の存在が複雑に絡み合い、
いくつもの時代を築いてきたと言える。
まったく互換性のないゲーム機であっても
実はいろいろな影響を生んでいるのだ。


ゲーム機はおよそ6年前後で世代交代するので
今後も定期的に新しい文化や刺激を体験できるだろう。
また数十年が経った頃にこの続きをまとめてみたいと思う。




最近では古いゲームがリメイクされることも多く、
懐かしい思い出が蘇る機会も増えた。


当時、強烈な衝撃を受けたスーパーマリオを
幼い頃に遊んだゲーム&ウォッチで遊べるというアイテム
私にとっていかに感慨深いか、伝わるだろうか。

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