プチメタ3.0

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「黒板が見えないから前の座席にして」という理不尽がまかり通っている不思議

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学校で席替えのたびに
「目が悪いから前の席でお願いします」
という人を見かけたけれど、あれは一体なんなんだろう。
目が悪いならなぜメガネを用意しないのだ。


本人がどうしようもないことならともかく、
低い視力に対する対処法はいくつもあるのに
「前の席の人と交代する」
「くじ引きで決めた席替えに例外を適用する」
というようなことがまかり通るのはなぜなんだ。


同じぐらい目が悪い人がメガネやコンタクトレンズを用意して
どこの席に行っても支障がないように工夫しているのに
なぜ平然と裸眼で「前の席に移動する」と言えるのか。


それぞれが自由に希望を出せる席替えなら
誰が前の席を希望しようが勝手だが、
くじ引きなど全員が運に従っているときにも
「目が悪いんで前の席と替わっていいですか」という
例外的措置が許される場面が非常に多い。


メガネやコンタクトレンズさえ用意していれば
こういった事態を防げるのに、そういった対処をせず
強制的に席を替わらせるというやり方に大きな疑問を感じる。


この意見に対する反論があるとすれば
以下のようなものだろう。

意見1.メガネ類は高い

確かにレンズやフレーム、
特に視力を強く矯正するタイプのものは高価かもしれない。
しかし一般的に見て、まったく手が出ない値段ではないだろう。
(もしそうならメガネをかけた子供はもっと少ないはずだ)


そもそも授業を受けるには学費以外にも必要なものがある。
筆記用具、ノート、教科書類、体操服。
これらは値段に関わらず、授業を受けるために買い揃えるはずだ。
場合によっては娯楽費や食費を削ってでも買うだろう。
「体操服は高くて……」と言って
勝手に自前の服で体育を受けることは通用しない。


目が悪い人にとってのメガネ類も
授業を受けるために揃えるべきアイテムに含まれると思うのだ。
「前の席と替わってもらえば見えるから用意しなくてもいい」という理屈は
「隣の人に借りるから消しゴムは買わなくていい」と同義じゃないのか。


「消しゴムは安いけどメガネは高いから」という理屈ならおかしい。
要は他人に影響を及ぼす対処の仕方が問題なのだ。
自分の努力や準備でどうとでもなるのに、
それをせず他人に影響を与え続けるところが納得できない。
「メガネは高いから」と買わない言い訳をするくせに
携帯代や車に金をかけている家庭はどういう神経なんだ。

意見2.黒板が見える席に移動しないと勉強できない

目が悪い人が他の人同様に授業を受けるために
「前の席に移動すること」が必須だと仮定しよう。


では生徒それぞれが考える「勉強しやすい環境」のために
席を移動することが許されているのだろうか。


「好きな子の隣の方が勉強に気合が入る」
「窓際で新鮮な空気を吸う方が集中できる」
「前の席で好きな先生に努力してる姿を見せたい」
「先生から遠い後ろの方が気楽に授業が受けられる」
それが各生徒にとって効率よく授業を受けられる座席だとしても
これらの理由で座席の変更を申し出ることは許されないだろう。


先天的・後天的・身体的・精神的、いずれの理由にせよ
おのおのが考える最高の座席というものがある。
しかし、それを言い出すと収拾がつかなくなるので
くじ引きなどという公平な方法で席替えを行うことが多いのだ。


それなのに、なぜか目が悪い人の座席移動だけは
やたら特例として扱われており、
目が悪い本人もそれが通用すると思っている節がある。

意見3.前の席は人気がないから問題ない

先生の目の届きやすい前の座席は人気がなく、
目の悪い人がそこに移動したいといっても
反対する人がいないから問題ない、という反論。


これは結果論だろう。
目が悪いという理由で座席移動が許されるのかという問題と、
対象の席が不人気かどうかは関係がない。
逆に、前の席が人気席だと仮定してみると
今回の問題がなぜ理不尽に感じるかが理解しやすい。


たとえば人気歌手のライブがあったとして
観客の座席はすべて抽選で割り当てられたとする。
どの席に割り当たるかはすべて運によるので
「抽選で決まる」という手段に対する理不尽さは感じない。


しかしここで「目が悪いから前の席と交代させてください」と
申し出た観客がいたらどうだろうか。
それが許可された場合、みんなは納得できるのか。


これはまず許されないはずだ。
「目がいい人は歌手の姿がよく見えるけど
 目が悪い私は見えないから前の席と交代させて」と訴えても
「そんなの知るか」で一蹴されるだろう。
「耳が悪いから近い席に割り当ててください」と言っても
それが許されることはないだろう。


そういった都合が各自にあろうとも
メガネやオペラグラス、補聴器などで対処することを求められるはず。
つまり個人の努力で対処可能なら
例外的措置は取られないのが一般的なのだ。
(個人の努力で対処不能なほどの障害は今回の話題には含まない)


その席が不人気だからたまたま黙認されているだけで、
不満を持つ人が少ないから許されるべき、というのは違うと思う。
個人の都合だけで例外が発生するのが問題なのだ。

まとめ

「視力は問題ないけど前の席がいい」という生徒も少なからず存在するが、
彼らの希望は個人的な好みとして無視されることが多い。
なぜか目が悪いという理由でのみ例外が許されるのだ。


たとえば、勉強に意欲的で前の方に座りたい生徒が
くじ引きで運よく前の席を引き当てたとする。
「これで集中して授業が受けられる」と喜んでいたところに
「目が悪いから替わっていいですか」と
後ろの席を引いた生徒と交代させられたとしたらどうか。


誰もが同じ確率で希望の席に割り当たるかどうかを抽選しているのに、
目が悪いという理由だけで
例外が発生することに理不尽な思いをする場面だ。


もちろん、ちゃんとメガネを用意している生徒は
他の生徒と同じように抽選に従って席替えしているのだ。
そんな中、メガネも用意せず
「目が悪いから前の席にして欲しい」と平気で言えるのはなんなんだ。
みんなと同じラインに立つ努力もせずに
平然と特別扱いを希望できるのはどういうことなのか。


もうこれが疑問で疑問で仕方がないのだ。

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