プチメタ3.0

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ゲーム作りで重要な「ゲーム性」とは何か

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ゲームプログラミングを学ぶ私の教え子たちは
作品制作として定期的にゲームを作る機会があるが、
なんとなくゲームっぽい画面になっているだけで
実はゲームではないものを作ってしまうことがある。


「ゲーム」と「ゲームでないもの」の違いは
画面が賑わっているどうか、
キャラクターが登場するかどうかではなく、
ゲーム性が存在するかどうかだ。


では「ゲーム性」とはなんなのか。

人によってうまい下手が分かれるどうか

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ゲームをプレイするときに必要とされるのは知恵技術だ。


敵の弱点に合わせて適切な攻撃方法を選ぶ、
どの敵から倒す方が得策かを考える、
目的のアイテムを入手するための方法を考える、
ルートを開拓するための手段を考える、
これらはすべて「知恵」が必要になる行為だ。


適切なタイミングでジャンプする、
敵の攻撃が当たらないよう防御する、
複雑なコマンドを正しく入力する、
状況に合わせて素早く操作する、
これらはすべて「技術」が必要になる。


知恵や技術は人によって実力が異なり、
この違いがゲームをプレイしたときの成果の差につながる。
プレイする人間によって「うまい」「下手」が分かれてこそゲームなのだ。
これこそがゲームの面白さであり、ゲーム性の源と言える。


逆に、プレイヤーの知恵や技術が
介入する余地がないならゲームとは呼べない。

サイコロやジャンケンにはゲーム性がない

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たとえば「サイコロを振って6を出したら勝ち」というもの。


サイコロで6を出すという行為には知恵も技術も関係なく、
ただ運がいいかどうかで決まる。
どれだけ派手な演出を入れようとも
サイコロを振って希望した数字を出すだけならゲームではない。


しかし、すごろくやモノポリーのように
「どちらのルートを進むか」とか
「この物件を買うかどうか」のように
プレイヤーの知恵(判断)が成果に関係する場合はゲームと言える。


「サイコロの出た目の分だけ進む」という部分は運だが、
その後にプレイヤーの腕を発揮できる機会があるためだ。



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ジャンケンもゲームではない。


ジャンケンの勝敗にはプレイヤーの知恵や技術が介入できる部分がなく、
ただランダムで結果が決まるだけだ。


ジャンケンには「強い(うまい)」「弱い(下手)」が存在しないため、
年齢や経験に左右されず純粋にランダムな結果が出る。
この公平性こそジャンケンの存在意義といえる。


誰かと何かを決めるときにジャンケンが重宝されるのは
ジャンケンにゲーム性がないためだ。
トランプやダーツのようにゲーム性が存在するものは
実力が高い方が勝ちやすいという偏りが生まれるため、
物事を公平に決めたいときには不向きだろう。


ただし、同じジャンケンでも
勝った方がその文字数だけ階段を上る「ジャンケングリコ」などは別だ。


3文字の「グリコ」に対して
「チヨコレイト」と「パイナツプル」は6文字なので、
単純に考えると利益の大きいチョキかパーで勝つ方が望ましい。
そしてチョキとパーならより強いチョキを出すべきだろうが、
そのチョキは利益の小さいグーに負けてしまうのだ。


利益の大きなチョキを出すべきか、
それに対抗できるものの利益の小さなグーを出すべきか、
さらにその裏を読んでグーに勝てるパーにすべきか。
利益に偏りがあるおかげで駆け引きというゲーム性が生まれる。

よくできたゲームには成長性と再現性がある

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知恵と技術が成果に影響する点がゲーム性の必須条件だが、
うまく作られたゲームは、プレイヤーを成長させる工夫と
テクニックが再現できる設計が込められている。


失敗したときに反省材料が提示されたり
ある場所で体得したテクニックが後に応用できたりと、
プレイヤーが徐々に上達していく工夫がされており、
自分の上達を実感しながら楽しめるのがいいゲームだ。


ゲームを作るなら、ゲーム性とともに
こういった部分まで気を回したい。


mclover.hateblo.jp

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